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古民家探訪

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薬師池公園(東京都町田市)


yakusiikekouenkanban2-薬師池公園の由来-

薬師池は別名福王寺池ともよばれ、天正5年に北条氏照の印判状が野津田の武藤半六郎(河
井家祖先)にくだり、水田用水地として天正18年まで開拓されました。その後、宝永5年に
この溜池は泥砂で埋まり、大塚村、小山村、高ヶ坂村などから人足が出て、3年間を費やし泥
砂をさらいました。しかし、文化14年にふたたび泥砂で埋まり、渇水状態となったため、普
請願を提出し、ひでりにあえぐ七町余歩(約7ヘクタール)の水田の水を得るため、溜池を掘
りなおし、今日にいたってます。面積は、7,700㎡あります。
池を中心とした、静かな和風の公園です。300本の梅、350本の桜と2,200株の花菖蒲
が自慢です。そのはかに、椿園、ハス田(大賀ハス)もあります。江戸時代の古民家2棟(旧永
井家住宅と旧荻野家住宅)が移築されています。「やくし茶屋」では甘酒、抹茶等をお楽しみい
ただけます。市制施行40周年記念モニュメント「自由民権の像」も建立されています。

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旧荻野家住宅

の家はもと町田市三輪町1601番地にあった荻野磯吉氏の住宅であり、荻野家より町田市に寄贈され、昭和49年移築復原された。荻野家は笠間藩の医家を出自とし、当地に移り幕末まで医家であった。現在、旧所在地付近は閑静な農村であるが、屋敷前の道はもと町田に抜ける往還として人通りが多かった。茅葺入母屋屋根のこの家は桁行6間半、梁行4間半の大きさで、後方に杉皮葺の風呂場と便所を突き出しているが、家の向きは農家と違って妻入りであり、内部の間取りも町屋と似たところがある。すなわち、前側2間が町屋風の土間と「調合座敷」、その後方には左手に2室の座敷、右手に家族生活のための「中の間」と台所土間をとる。また、前側の土間の戸締りには町屋の揚戸が使われている。家の年代は幕末期と推定されるが、外観、内部とも整い、町屋の造りを取り入れた農村部の医家の建物として少ない民家である。                                            現地、説明板より
荻野家内観
荻野家内観



旧永井家住宅

旧永井家住宅

井家は多摩丘陵で代々農業を営んでた。この建物は、現在位置の北方約3.3キロメートルのところにあったが、多摩ニュータウンの建設にともない町田市に寄贈され、昭和50年(1975年)にこの薬師池公園に移築された。建築年代については資料を欠くが、構造手法からみて17世紀末ごろと推定される。桁行15.0メートル、梁間8.8メートル、寄棟造、茅葺きで正面に土庇、土間側面に突出部を設け、屋根を葺きおろしている。平面は広間型3間取りで下手を土間とし、床上にはヒロマ、デイ、ヘヤが配されている。デイは板敷、ヒロマとヘヤは竹すのこで、天井はすのこ天井となっている。ヒロマ正面は袖壁付の格子窓(しし窓)となっており、ヒロマ、ヘヤ境には押板が設けられている。側回りは開口部が少なく、閉鎖的である。この住宅は都内では最古に属するもので、広間型3間取りの平面、四方下屋造の構造、しし窓や押板など、神奈川県の古民家と類似点をもち、その分布を知るうえで重要な遺例である。
                        平成一二年三月設置 東京都教育委員会
永井家内観
永井家内観

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