羽村市郷土博物館(東京都羽村市)
羽村市郷土博物館は、昭和60年(1985)4月に開館し、市民の文化的創造を育む場として活動してきました。羽村の自然や歴史・文化・特に玉川上水・中里介山に関する資料を収<BR集し公開しています。
平成9年(1997)4月に常設展を展示替えし、現在に至っています。羽村は昔からさまざまな形で多摩川の恵を受けてきました。そこで、常設展示の基本テーマを「多摩川とともに」としています。 パンフレットより
旧下田家住宅は、弘化4年(1847)に建築された入母屋造・茅葺民家で、この地方の一般農家の姿を良く現しています。また、この民家で使用されていた生活用具や養蚕用具も良く保存されています。
民家は、昭和57年(1982)に現在地へ移築復原されました。復原にあたっては、建築当初の状態を再現しましたが、南側縁側のハタヤだけは、明治時代に改変されたものを残しました。間取りは典型的な広間型で、古い形式を備えています。 イロリには、今でも火を焚いて、人が住んでいる状態にしています。煙にいぶされた天井は、長い年月の移り変わりを示しています。
衣食住の生活用具の他に農耕、漁撈、養蚕や信仰などの用具1,210点も文化財に指定されています。これらの一点一点の民具によって当時の生活を再現することができます。
ポストカードより
この門は、もと丹木村(現八王子市丹木町)の千人同心田中郡次家の門でした。
以前は、茅葺屋根でしたが、防火のため今回の改築で瓦葺としました。中央の2枚の門扉と左右のくぐり戸・2本の柱とその上の梁(はり)は建設当時のもので、200年以上も前のものです。門の左右に各6畳ほどの土間がありますが、ここは使用人の住まいや物置に使われていました。
この門は、中里介山の大菩薩峠記念館の正門でした。もとは三ヶ島(現在埼玉県所沢市)の徳川幕府に仕えていた眼科医鈴木家の門でした。昭和10年(1935)12月に介山がこれを譲り受け、記念館の前に移築しました。江戸時代中頃の創建といわれ、朱塗りの建築から赤門と称し、本郷にある東大の赤門に匹敵すると常に自慢していたといわれています。 公式サイトより
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