おきなわ郷土村(沖縄県)
「おきなわ郷土村」は、琉球王国時代の集落のテーマパークです。昔の人々の心のよろどころとなった御嶽や神アサギ、拝所を中心に、民家、ノロの家や地頭代の家、高倉、サーターヤなど、実際の生活の場としての集落を忠実に再現しています。 パンフレットより
神アサギ
主として、奄美大島、沖縄本島北部のシマ(集落)などで、シマのノロ(神女)たちが神祭りを行なう建物。もともと沖縄には、民家の本宅の前庭の東側にメーヌヤ(前の屋)という建物があり、客間とか、いろいろな用途に使われているが、これをアサギと呼んでいる。このアサギという建物と区別するために、神アサギ、神アシァギと呼んでいる。
地頭代の家(ジトゥデーヌャー)
地頭代は、王国時代各間切(現在の村)の地頭(領主)の代官として、地方行政を担当した人であり、その間切の百姓の有力者を登用した。
地頭代は、間切番所(現在の村役場)の最高の役で、物奉行及び吟味役の指揮監督をうけて諸令達を執行し、耕地の分配や林野の保護、諸税の徴収、上納等、諸般の行政を監理する役目であった。
この建物は、現存するかつての地頭代の家をモデルにしたもので、貫木屋形式の本瓦葺である。間取りは沖縄の民家の典型で、東南に面して床の間の一番座、その隣に仏間の二番座、そして居間にあたる三番座が置かれる。裏側には、子女の居室となる一番裏座、二番裏座、産室にもなる地炉をもつ三番裏座が配される。離れ座敷は前の家(アサギとも云う)と云われ、隠居部屋あるいは来客の宿泊などに用いられる。 現地説明板より
ノロの家
「ノロ」は、村落の神事祭祀を司る神女である。王国時代には首里王府から辞令を受け一定の土地が与えられ、各間切(現在の村)に数人ずついて各自数ヶ所の村落の神祭りを管轄した。ノロの下に掟神(ウッチガミ)、根神(ニーガミ)その他の神役がおり、ノロの補佐をつとめる。
この建物は、伊是名村字諸見にある民家をモデルにしたもので、貫木屋形式の木造瓦葺である。間取りは一般民家と大きな違いはないが、屋敷内に「ノロ火の神」を祀るノロ殿内が配置されている。 現地説明板より
本部の民家
この建物は、以前当公園内にあった農家をモデルにしたものである。建造されたのは昭和初期であるが、建築様式としては古い年代の穴屋形式で、主屋と台所の二棟からなっている。四隅の柱はすべてサンゴ石灰岩を使用し、床下は低く屋根は小丸太組の茅葺である。壁は両棟とも二重のチニブ壁(竹壁)に茅をつめ、また台所のかまど廻りの壁はサンゴ石灰岩の野面積で、目地には土をつめてある。そして一般に二棟の屋根の接する部分には樋を設け、雨水を背後に流すように勾配がつけられている。 現地説明板より
与那国の民家
この建物は、与那国島に現存する農家をモデルにしたもので、以前よくみられた構造形式である。屋敷には主屋(ダ)、炊事場(チムヤー)、馬小屋、豚小屋、山羊小屋、にわとり小屋が配置され、また小さな野菜畑(アタイ)もあって、一般的な与那国の農家を示している。
殊に竹は建築材料として重要で、垣根をはじめ壁や床、戸、屋根裏の下地材等に多く使用されている。
また、この島の特産である与那国馬は小柄で、馬小屋が他の地域の畜舎より小さめに造られているのも特色の一つと言えよう。 現地説明板より
奄美の民家
この建物は、鹿児島県大島郡大和村名音にある民家をモデルにしたものである。奄美の民家は、一般に主屋と台所が分かれている二棟建が特徴で、主屋の間取りは前室に「オモテ」、後室に「ウラ」と二室が前後に並ぶのが基本となっている。後世になって後室の中央に仕切りをいれて二室とし、全体で三室間取りへと発展していく。前室は客間、後室は寝間となっている。また、台所は「トーグラ」といって別棟にし、主屋とは板廊(巾1.8メートル、ワタリと云う)によって接続される。そこで炊事をした食事をとるが、一般には土間を設けない。
現地説明板より
近年の民家
王国時代の屋敷や家屋に対する諸制限は、明治22年(1889)に廃止された。それを契機に、従来規制されていた赤瓦が各地の農家にも使用され、今日見られる赤瓦屋根の集落景観が形成されるようになった。
この建物は、以前豊見城村字真玉橋にあった農家をモデルにしたもので、主屋と台所が一つ屋根におさまった、いわゆる木造瓦葺貫木屋形式の一棟型である。特徴としては、縁側がなく、東と南に面して雨端(雨庇)がとられ、強い直射日光や横なぐりの雨が室内に入らないように考慮されている。 現地説明板より
古民家に憧れを抱く坂本建設では、近代古民家「博士の家」での施工を行っています。






















