浦和くらしの博物館民家園(埼玉県さいたま市)
浦和くらしの博物館民家園は、市内に伝わる伝統的な建物を移築復原し、生産、生活用具を収<集し、これらを展示公開するとともに、伝統行事等を行うための施設としてつくられた、野外の博物館です。また、この土地は、享保13年(1728年)に開かれた見沼田んぼのほぼ中央に有ります。見沼に伝説も多く、また周辺にはたくさんの文化財があります。
所在地 ; 〒336-0925 さいたま市緑区下山田新田1179番地1
TEL/FAX 048-878-502
旧高野家住宅
高野家は、中山道沿いの岸町7丁目にあった煎餅を製造販売する商家です。園内に、復原された建物は、店舗兼作業場部分ですが、本来は、宿場の商家として典型的な、「開口に対して奥行きの長い」つくりで、通りに面した店舗とそれに続く住居部分からなっていました。解体調査の結果、建築当初は茅葺きだった屋根を明治40年に瓦葺に変えていたことが判明したため、民家園への移築に際し、建築当初の形に復しました。屋根は寄棟、茅葺で、正面に軒の張り出しを大きくする出桁作りと瓦葺の下屋庇がついています。内部は正面から、入って左側が土間、右側が床上で、大黒柱境に8畳のミセと6畳の板の間に分かれています。土間とミセの上は、屋根裏で、物置として使われており、土間に入ってすぐの天井には荷物を上げ下げ出来る吹き抜けがあります。屋根裏へは、土間の奥からはしごをかけて上がりました。土間中央の壁面沿いには井戸があります。また、土間奥左の壁に煙だしの小窓が切ってあることから、当初はこの辺にかまどが設けられていたようです。建築年代を、はっきり裏付ける資料などありませんが、建築途中に安政の大地震(安政2年10月2日/1855年)が起こったという言い伝えや、部材の仕上、建築工法などからも江戸時代末期の安政年間の建築と考えれます。現存する中山道商家としては最も古い建物と貴重な建物です。
さいたま市サイトより
旧綿貫家住宅
この住宅は、市内常磐の綿貫家から市が寄贈を受け、平成14年度に移築復原したものです。綿貫家は肥料や雑貨などを扱う商家で、屋号を「菱屋」とし、この建物は中山道に面した店蔵でした。外壁を漆喰で塗り上げた「塗り屋造り」で、屋根は切妻造り・桟瓦葺、正面に下屋庇がつきます。屋根裏を利用した「厨子」と呼ばれる2階があり、格子のついた風情から「虫籠窓」と呼ばれる窓が特徴的です。建築年代ははっきりしませんが、明治21年(1888年)の浦和宿の大火に焼け残ったと伝えられていることや、建物の構造や建築手法から江戸時代末期~明治初期頃の建築と考えられています。中仙道沿いの商家の中でも、防火に優れた塗り屋造りの商業建築を知るうえで貴重な資料です。 パンフレットより
旧野口家住宅
この住宅は、市内大谷口の野口家から市が寄贈を受け、平成10年度、移築復原したものです。野口家は、代々旧大谷口村の安楽寺の住職をつとめた家で、この建物は庫裏として使われていたものです。同寺は、明治初年に廃寺になり、旧所在地に移され、同家の母屋として使用されました。この地方の典型的民家の特徴である茅葺き寄せ棟造り、平屋平入りで、田の字型間取りとなります。南側及び西側(後補)に廊下をつけています。建築年代は、床の間床板から、安政5年(1858年)の墨書きが確認され、この時期または、それ以前の建立と考えられます。背が高く、深い軒の出と大きな屋根をもった優れた意匠となっています。また、寺院の庫裏であるにもかかわらず、この地域の民家の形式がそのまま見られ、更に移築された当時の歴史的背景など資料的価値の高い建物です。 パンフレットより
旧武笠家表門
この門は、市内三室で代々農業を営んできた武笠家から市が寄贈を受けたもので、平成6年度に移築復原したものです。寄せ棟、茅葺きの長屋門で、中央の間を戸口とし、右端の一間を仕切り、床張りとしている以外は、土間となっています。正面中央の2本の門柱は平角で門構えを作っています。通例の長屋門に見られる「立隠れ」(門構えの部分が中に入り込む)はなく、また、門扉が両開きの引き分け戸で、右側の戸にくぐり戸がついています。武笠家では正規にこの門を開くのは婚礼や葬儀などの特別の日に限られ、日常は別にあった通用門を使いました。この門は、長屋門の役割を備えながら、作業場となる広い土間をもち、農家の生活に即した機能性の高い建築といえます。天明3年銘の護摩札が確認されており、土台は蹴込み土台で、梁の仕上や小屋組みなどから江戸時代後期の建築で、市内で見られるこの形式の長屋門の代表例です。 パンフレットより
旧蓮見家住宅
この住宅は、市内井沼方の蓮見家から市が寄贈を受けたもので、平成5年に移築復原したものです。平入り、寄せ棟の茅葺き農家で、広間型三間取りというこの地方の典型的な庫民家の特徴をもっています。シシマドと呼ばれる格子窓がつくこと。土間がまわらず柱が直接礎石上に立つこと、柱の断面が正方形でなく、また、太さが不ぞろいであることは、古い特徴といえます。大黒柱にあたる柱もやや太めですが、他と同じスギ材を用いていることも時代色を示しておます。建立年代は明らかではありませんが、江戸時代中期と考えられ、現存する市内最古の民家といえます。 パンフレットより
旧浦和市農業共同組合三室支所倉庫
この倉庫は、旧浦和農業共同組合三室支所(現市農業共同組合三室支所店)の政府指定米穀倉庫として使用されていたものです。当初は、栃木県小山市内で大正8年にかんぴょう問屋の倉庫として建築され、昭和31年に旧浦和農業共同組合三室支所に移築されたものです。これを市が寄贈を受け、平成6年度に展示・収蔵施設として移築しました。大谷石土蔵造り、トラス小屋組の寄せ棟で屋根が瓦葺きとなっています。内部は中央で仕切られ2部屋となり、それぞれに均整のとれたアーチ型の入口が設けられています。大谷石造り倉庫は「石蔵」とも呼ばれ、市内では農業共同組合の倉庫として数棟知られてますが、この倉庫は年代も古く立派です。 パンフレットより
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